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ピンポン録音しました

マルチトラックのテープレコーダが業務用の高価な物ばかりの時代、アマチュア向け製品は限られ、ティアック社のリールツウリールの4トラックが発売されている程度でした。しかし中高生に手のでる品物ではなかったのです。そこで音を重ねて音楽をつくるとなると、ピンポン録音という多重録音になるのです。
最初はラジカセを2台使いピンポン録音をしていました。その頃のラジカセはライン入力とマイク入力をミキシングし録音する機能が搭載されていました。まず基本となるリズムマシンかギターの演奏を録音、それを一台のラジカセで再生し、もう一台のラジカセのライン入力に、そしてマイク入力からの別の音声を足して録音。これで二人分の演奏となります。これを繰り返すと一人で多重録音ができるのです。そこで学んだ事は、ダビングする度に高音が劣化すること(思っていた以上に劣化することを知る)。沢山ピンポンすると音の固まりができる、フィル・スペクターの「ウォール・オブ・ サウンド音の壁)」を感覚的に理解できました。
弟が「ビートルズ」の「タックスマン」をまねて、咳を入れると、ダビングの回数が増えると、なんともいえない咳の音に揺れや濁りが加わり迫力が増したのは楽しかったです。僕はクラフトワーク風の音楽をシンセなし(買えなかった)でギターの音や声を加工して録音したのを覚えています。このあたりの音源はもうのこっていません。
一番思い出に残っているのは、カセットデッキ2台でピンポン録音していたころの話ですが、高校で合唱大会に各クラスが出演せよとの学校側からの通達、1979年だと思います。伴奏は自分たちでする(ピアノかアコギ)か、カラオケをつくりカセットテープで提出とのことでした。この頃のカセットデッキは今の物と違いライン入力以外にマイクアンプが装備されていて、ラインとマイクをミキシングしながら録音できる仕組みになっていました。1979年5月に発売された「サーカス」の「アメリカン・フィーリング」を歌いたいとクラスで決めたのはいいものの、男だけ40名のクラス、キーが高いのです。そこでキーを落としたカラオケを友人と作ることになりました。まず僕が耳コピしキーを落とした楽譜を準備。友人S谷君がEギターを、僕がEベースをせーのでライン取り。ここからは僕一人の作業。ピアノのあるお宅に機材を運び込みこれを再生しながら、もう一台のデッキでメロディーのガイドとなるピアノ(短音)を僕が弾いて録音、最後にリズムがわかりやすいように、タンバリンを追加。2回のピンポンで無事カラオケ作成完了。これも音源残っていません。残念。
4トラックのカセットや、その1トラックをつぶしてシンクロ用の信号をいれシーケンサーと同期させMIDIシンセサイザーをコントロールするなんてのはこの少し後に登場してくる技術です。