音楽と映像とガジェットの四方山話

アラ還おじさん趣味の四方山話Blog

原点は、海岸でのライブ

僕の原点となる、16歳の出来事を書いてみます。
神戸に住んでいる人なら誰でも知っている須磨の赤灯台が舞台です。昔、和田岬平清盛が作ったことで有名な岬)にあった古い灯台を文化的遺産として残すため、須磨海水浴場に移設したものです。その横に四本の柱でささえられた屋根のある、小さなステージがあります。ここで開催した、海水浴客をターゲットにしたゴスペルの無料ライブのお話です。
企画には大人の方が入ってしていたと思いますが、スタッフは20歳前後の若者でした。飲み物なども用意(たぶんこれも無料)していました。演奏者は、アコギとボーカル、キーボードとボーカル、アコギ、ドラム、ベースの五人編成。まだPA装置などすくなく、ミキサーというよりもボーカルアンプと呼ばれていた物で、ボーカルとアコギの音を増幅していました。
僕は演奏ではなく、なぜか企画する側から司会をしてほしいと依頼がありました。どのような経緯でそうなったのか、どうしてOKしたのか、司会がどうだったか全く記憶がありません。でもそのライブの直後、司会ではなく、演奏する側、PAをコントロールする側になりたいとの思いが生まれたのです。企画・設備を借してくださる相手との交渉・宣伝・PA・演奏・すべてが新鮮でした。
これがきっかけで、ギターとベースをはじめました。このライブで生まれて初めて生で見たLM楽器は、エーストーンのキーボードと、YAMAHA SA-70 という型番の緑色のエレキベースでした。エレキだけにしびれちゃったのです(寒)。
音楽がしたい! それをするには、企画を立てる、宣伝する、そのためにチラシなどのデザインや印刷が必要、演奏する、PA、場合によっては照明。そして記録のためのレコーディングなどなど・・・。ミキサーの使い方もアウトボードの使い方なども独学で覚えました。チラシやコンサートのプログラムを作るのに便利と、パソコンにおそるおそる手を出したのも、この影響があったからです。音楽を聴くことが好きで、オーディオが好きだった僕は、一気にしたいことが音楽全般にふくらんでしまいました。
いろんなところに顔を出し、演奏、チラシの作成、PA、企画などの手伝いをはじめるようになりました。そしてそれがいまでも何らかの形で人の役にたち、年に何度かのコンサートを企画しています。またパンフ制作からデザインに関わりをもち、現在その一部を生業にしています。
本気でミュージシャンになりたいと考え、行動したこともありました。若さゆえの無茶もありました。どうなるかわからない、あたってくだけてしまったことだらけ(笑)。16歳のインパクトはいまも続いています。若い時の無茶や無理をおすすめはできませんが、その時でないとできない(無知故にできる冒険?)こともあります。その年代でしかできないことにチャレンジできたことは、結果として失敗だらけですが、自分の肥やしになったと思っています。